終わり良ければ全て良しではない
ことわざの、 終わりよければすべてよしとは、物事は最終の結末がもっとも大事であり、途中の過程は問題にならないということですが、「私はそうは思わない」。
ことわざは、風刺や教訓・知識などを含んだ、世代から世代へと言い伝えられてきた簡潔な言葉と改めて説明するほど、疎遠なものではないけど、真理でもなく、参考資料みたいなものだと思う。
おおざっぱでも、理系と文系の人間と大別すると私は後者と思う。
(ずいぶんとじこもっていたかも、しれない)
年の終わりに「終わりよければすべてよし」という言葉浮かんできたのですが、逆に考えると終わりが悪かったら、すべて悪いということですよね。
先日はクリスマスパーティーでずいぶん楽しい、心温まる時間を過ごせました。また、妻との思い出の場所に同行してくれた優しい友人もできて、救いのある良い年の終わりです。
(外食より、手作りの料理のほうが多い生活)
人生の山や谷を多少は味わったので、ネガティブに想像すると次は自分が病になって、ネオが辛い思いするんじゃないの?と勝手に想像する。これは本当に最低な考え方で、冷静に考えると何の根拠もないのです。
人間や個人が思うように人生なんて流れていきません。想像することすら、無意味です。
夫婦での会話で、なるべく悪く考えておけば、悪いことが発生しても、「ほらやっぱり、おもったとうり、だから・・・」というほかに責任転嫁するような意見が出ることもあった。
今になって思うけど、つまらないことは考える必要が無いと思います。最近行動的になっているのは、人の意見を実際に会話から聞き取ること、学ぶこと、その場で批判されることが大切と目覚めたからです。
自身が思ってる以上に人の魅力は、他人が持っています。親しくなると、拒絶しない限り大切な考え方を提供してくれます。
多くの人と接しあえた一年のうちの後半は、始まりと終わりを、一年で区切ることを別としても、良い結果も、悪い結果もありました。
ただし、それらは経過があって初めて理解でき、悪い結果は改善すればいいのです。
話は、元に戻りますが、死別は終わり悪ければすべて人生が悪かった、と思うようなことわざに類似した総括になってしまいます。
終わり悪くとも、人生すべてを否定して、悲嘆(大嫌いな単語)に暮れる人生とはなりません。
(友人と一緒に飲んだコーヒー、久しぶりに複数で飲むコーヒー)
妻の死で、心が落ち着いてきてからは、犠牲ではないけど導きによって、さらに多くの素敵な経験をさせてもらうことになりました。
(以前から信州の人や九州の人、沖縄の人に強い縁がある)
妻の終わりは悲惨な部分もありますが、勝手に妻の終わりは悪かったとも言えません。妻の人生全部が大切なことで、プロセスが大事だと信じています。終わりよければ幸せだなんて、「私はそうはおもいません」。
否定的な考えや閉じこもっていても、革命は起こりません。
いまでも、妻は私に多くの導きを提供してくれています。
妻は「怖い顔してないで、笑顔が一番好き」だって言ってくれていました。
亡き母は「ずっと優しい人でいなさい」とおしえてくれました。
これからは、自分のためにも生きないとね!まーちゃん!
ことわざは、風刺や教訓・知識などを含んだ、世代から世代へと言い伝えられてきた簡潔な言葉と改めて説明するほど、疎遠なものではないけど、真理でもなく、参考資料みたいなものだと思う。
おおざっぱでも、理系と文系の人間と大別すると私は後者と思う。
(ずいぶんとじこもっていたかも、しれない)
年の終わりに「終わりよければすべてよし」という言葉浮かんできたのですが、逆に考えると終わりが悪かったら、すべて悪いということですよね。
先日はクリスマスパーティーでずいぶん楽しい、心温まる時間を過ごせました。また、妻との思い出の場所に同行してくれた優しい友人もできて、救いのある良い年の終わりです。
(外食より、手作りの料理のほうが多い生活)
人生の山や谷を多少は味わったので、ネガティブに想像すると次は自分が病になって、ネオが辛い思いするんじゃないの?と勝手に想像する。これは本当に最低な考え方で、冷静に考えると何の根拠もないのです。
人間や個人が思うように人生なんて流れていきません。想像することすら、無意味です。
夫婦での会話で、なるべく悪く考えておけば、悪いことが発生しても、「ほらやっぱり、おもったとうり、だから・・・」というほかに責任転嫁するような意見が出ることもあった。
今になって思うけど、つまらないことは考える必要が無いと思います。最近行動的になっているのは、人の意見を実際に会話から聞き取ること、学ぶこと、その場で批判されることが大切と目覚めたからです。
自身が思ってる以上に人の魅力は、他人が持っています。親しくなると、拒絶しない限り大切な考え方を提供してくれます。
多くの人と接しあえた一年のうちの後半は、始まりと終わりを、一年で区切ることを別としても、良い結果も、悪い結果もありました。
ただし、それらは経過があって初めて理解でき、悪い結果は改善すればいいのです。
話は、元に戻りますが、死別は終わり悪ければすべて人生が悪かった、と思うようなことわざに類似した総括になってしまいます。
終わり悪くとも、人生すべてを否定して、悲嘆(大嫌いな単語)に暮れる人生とはなりません。
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妻の死で、心が落ち着いてきてからは、犠牲ではないけど導きによって、さらに多くの素敵な経験をさせてもらうことになりました。
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妻の終わりは悲惨な部分もありますが、勝手に妻の終わりは悪かったとも言えません。妻の人生全部が大切なことで、プロセスが大事だと信じています。終わりよければ幸せだなんて、「私はそうはおもいません」。
否定的な考えや閉じこもっていても、革命は起こりません。
いまでも、妻は私に多くの導きを提供してくれています。
妻は「怖い顔してないで、笑顔が一番好き」だって言ってくれていました。
亡き母は「ずっと優しい人でいなさい」とおしえてくれました。
これからは、自分のためにも生きないとね!まーちゃん!
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この記事へのコメント
とうとう今年もあと3日
旦那さまがいなくなって初めての一年でした。
終わりよければすべてよし
旦那様は 最後は辛い闘病だったと思います。
ただひとつ救いは 家に帰ってこられたこと
大好きだった家での最後だった事です。
今年は 旦那さまの縁で 色んな人に助けてもらえた事
感謝しています。
まだまだ 心が落ち着かず毎日淋しさ・辛さ・不安とに
押しつぶされています。
来年は 少しでも笑顔も時間を作れるように・・・
人と比べないように・・・
少しでも 普通の日常に戻れるように・・・
心が落ち着くように頑張ります。
ひろちゃんが 安心できるように・・・
いつも ありがとうございます。
と言葉では言えますが、ご苦労は理解しています。
不安、淋しさ、つらさはもわかります。
時間では癒されるかは、わかりません。
でも笑顔を送ってあげないと、心配してしまいます。
未練が残って、浮かばれないようにならないように、頑張りましょう。
昔から言われているように、故人を安心させましょう。